rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

板ばさみ脱出法


世の中の悲劇は、なにかとなにかの板ばさみに
なることによって生じることが多い。


板ばさみが生じる状況には、大体「正しいこと」
が介在している。AさんとBさんの板ばさみに
なっているCさんという人がいるとして、Aさん
とBさんがそれぞれ属している団体や思考の
正しさが異なるゆえ、対立の構図が生じている
のだ。それをまとめようとするCさんに確固とした
「正しい」思考があったとしても、まとまるはずも
なく、妥協点すら見出すことは難しい。


実は、「正しいこと」すら、結構あいまいなもの
であるから話はややこしい。時代や状況によって
正しいことは違うわけだし、属する思考領域に
よっても異なる。


ならばどうすればいいのだろうか。まずは対立に
ついて考えてみよう。AさんとBさんが対立している
ということは、同じプロジェクトをやろうとしているか、
同じグループに属しているか、近い場所にいるか
など、なんらかの関係があるということを示して
いる。


仮に、同じプロジェクトを進めているとして、
対立している理由は、プロジェクトを成功させたい
がゆえに生じているということになる。同じ目的を
目指しているということだ。なのに、いがみ合って
いるということは、その両者に「対話」が成立して
いないということを意味している。それぞれの
「正しいこと」が対立しあっているのだ。


同じ目的を再度認識し合い、それぞれの「正しさ」
をお互いに説明し理解しあうことが必要だ。つまり、
対立の構図を越えたフィールドで考え、対話する
ことで悲劇は回避できるのだ。


そのとき、板ばさみにあっているCさんがやるべき
ことは、同じ目的という大きなフィールドを的確に
対立者それぞれにイメージさせ、対話できる
雰囲気をつくりだすことだ。意識的に、状況や
脈絡をシフトさせることが求められる。


おそらく、人間には本質的な中心は存在しないよう
に思う。だれのためになにをしたいかといった外部
からくる要因によって、内的必然性は生まれるのだ。
もし、中心というようなものがあるとしたら意思と
いうベクトルのようなもののような気がする。