rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

自分はどこへ向かおうとしているか


ふと気が付くと、智頭杉や因州和紙のプロダクトを
デザインしてみたり、杉屋台のことを夢想してみたり、
本質的なおみやげものとはなにかと深く考え込んだり、
また、露天風呂の目線の高さはどれくらいがいいか
試してみたり、建築からどんどん離れていく自分が
いる。


自分はどこに向かっているのだろうと、考えてしまう。


でも、ひとつだけブレない視点がある。自分以外の
人や、社会や、まちとどう関わりたいかだ。お互いが
出会うことで、発展的に展開できる可能性を見つける
こと、それもお互いがおもしろくハッピーになれる
関係をつくっていくという考え方である。ほとんどの
私の活動は、この視点に基づいて考えられ、行動に
移されている。


専門は建築のデザインだが、この視点に立てる
ならば、なんでもありなのである。もちろん、専門
分野は、責任を持って専門性を発揮しなければいけ
ないが、専門という切り取り方にはときどき無理が
生じることがある。


どう社会と関わりたいか、という根本的な考え方さえ
ブレなければ、専門を越境し合って、より多様性の
ある豊かでハッピーな世界をつくり続けていったほうが
楽しいし、積極的に関わることで少しでも世の中の
ためになることができるような気がする。