rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

大きな流れをつかむ


最近、口ぐせのようにいっていることばだ。建築は、世の
中の職業の中でも多種多様なものが入り混じった職業だ。


ひとつのことだけにこだわり続けていると、全体が見え
なくなる。かなり以前の独り言に、「ミニミニ・スパイラル」
ということを書いたが、小さいことにこだわり続けるほど、
その小さい世界から抜け出すことが難しくなってしまう。


もちろん、ものごとを組み立てるには、ひとつひとつの
要素はとても大事だ。でも、大きな流れを見失っては、
各要素の存在意義は薄れてしまうのだ。


打ち合わせの中で、あまりメモを取らないのは、そう
いう理由からである。スタッフは、メモを取り、詳細な
ことを記憶していくことを課せられている。そんな状況
の中でも、大きな流れをつかむ訓練を積み重ねていって
ほしい。


大きな流れをつかむには、枠の外で考えてみる、いろいろ
な角度で見てみる、近寄ってみたり離れてみたりしてみる、
そのようなことを意識的に行うことである。まあ、自分で
動きながら考えてみるということだろう。


中流の復興」小田実著(生活人新書)の中で、小田氏
が、おもしろいことを書かれていた。彼は、ベ平連という、
ベトナム戦争の米兵の脱走兵を保護する活動をしていた
のだが、その活動を、虫の視点と位置づける。「鳥瞰図」
に比して、「虫瞰図」という考え方について語っている。


彼いわく、「鳥というのは永遠に飛んでいるのではあり
ません。どこかに降りなくてはならない。飛んでいるとき
絶えず大地を意識している。どこかいいところはないかと
探し回って、降りて来ます。鳥瞰図、鳥のことを考えて
いる人は、いつも大地に規定されてしまう。・・・」
「虫は上を見たらいいんです。全宇宙を。完全に自由
です。認識においては地上をはっているんだけど、思考
においては完全に自由です。鳥はダメです。思考がない。
絶えず地上を気にしている。・・・」


自分は、鳥の思考は自由で、虫は限定された狭い思考
しかできないと考えてきた。立ち位置によって、ものごと
の認識や思考は大きく変わる。おもしろい考え方だと思う。


固定されない、自由な思考を続けていきたい。


●写真は、豪徳寺駅ホームから見た豪徳寺商店街の
通り。