rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

外へは分かりにくく、内へは分かりやすく


参議院選挙が終わった。民主党が勝ったというのは、確か
によく分かる。でも肝心の日本という国が、国家内の政策
としてどこへ向かって行こうとしているかは、とても分かり
にくい。


外へは分かりにくく、内へは分かりやすく、と書いたが、
第二次世界大戦の頃は、外へも内へも分かりやすかった。
近代化していく中で、日本には資源がない。ならば、侵略
してでも外から資源を取ってくればいい。そうした戦争を
すれば解決できる。国民にとっても、今の苦しい生活をよく
するには、外から資源を取ってきて、日本でそれを加工して
高く売れば、生活も豊かになる。


このように、外へも内へも分かりやすくするということは、
とても危険である。外でのフリクションが起こる可能性を
かなり高めることになるからだ。


ある組織の中では、その組織の構成員にとっていいことは、
組織内部が平和で、みんなが豊かに快適に生活できること
である。組織の中では、その組織がどこに向かっているか
という最低限の情報を共有していないと、組織自体がまと
まらないし、豊かにも快適にもなりえない。


かといって、内への分かりやすさを外への分かりやすさに
ただ短絡的につなげてはいけない。例えば、国家内で分かり
やすく意思統一できたとしても、それをそのまま国際社会
にもっていっても、そのままでは通らない。ひとつ上の次元
の、国際社会という「内」の中での、分かりやすい論理が
必要で、それらの論理間での調停が必要となる。


この話は、個人、家庭、地域社会、都道府県、国家、国際
社会、地球、宇宙・・・、というさまざまなレベルで入れ子
なっている。


とにかく、世の中は相対的なのである。外へは分かりにくく、
内へは分かりやすく、である。