rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

数値還元再考


近代を、批判を恐れず、ものすごく大雑把に
定義すると、観念的なことを数値還元する
ことによって、限られた人にしか分からなか
ったことを、すべての人が分かるようにした、
ということだろう。


このことによって、芸術は貴族のものから、
人民のものになり、労働は貨幣に還元され
交換可能なものとなり、人々は観念や封建制
から自由になった。


数値還元は、ものごとを理解するときに、より
多くの人たちにとって分かり易いものである。
経済学も、数値還元あってこそ、交換が成り
立ち、はじめて機能する。


しかしだ。すべてが数値に還元できるというと、
そうでもない。人々の思考や意思、デザインや
芸術、建築空間などは、数値化しても意味が
ない。いまは、何らかのかたちで無理やり
数値化されることで、なんとか世の中にぶら
さがって残っている状態である。


無理やりというのは、近代がもっている社会
主義的な側面が、人々に数値還元を強いて
いるのではないかということである。


数値還元できるものもあれば、できないもの
もあると、きっぱり割り切ってしまえば、もう
少しみんな楽になるだろうに・・・。


単一純粋主義ではなく、複合多様主義。世の中、
そんなに単一の理論で解けるほど単純なもの
ではないように思う。


近代のことについて、もう少しゆるく楽に再考
してもいい時期に来ているような気がする。


「民主主義」ということばも、水戸黄門の印籠
のように、本当の意味を問うことなく、正義の
御旗のような使われ方がされている。


いま、佐々木毅著の「民主主義という不思議な
仕組み」(ちくまプリマー新書)という本を
読んでいる。民主主義という当たり前とされて
いることを疑ってみるという趣旨の本である。
読み終わったら、また改めて感想を書こうと
思う。