rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

頑張ってはいけない


よく、ついつい、気軽に、「頑張って」ということば
を使ってしまう。


きょうは、この「頑張る」について考えてみた。
「頑張る」には、2種類あるように思う。


ひとつは、大きな目標があって、それに向かって、
コツコツ頑張る。もうひとつは、なにも考えず、
場当たり的に頑張る。


前者は、いいと思うが、後者は、頑張る意味を
生成することができない。


「頑張る」とは、あるべき自分のすがたがイメージ
としてあって、現実の自分がそれに及ばないとき、
そのあるべきすがたになろうとすることである。
つまり、とりあえず、実力のない自分に虎の衣を
借りるための努力なのである。


一夜漬けの試験勉強が、「頑張る」の典型的な
例であろう。試験が終わったら、きれいさっぱり
忘れてしまう。虎の衣もときどき実力に変化する
こともないことはないが・・・。


能力が進歩するには、その時点でできることを、
こと細かく探し、ひとつひとつていねいにタンタン
とこなしていき、確実に次のステップに進んで
いくことが求められる。ということは、どこかで、
不定期に、飛躍的に能力がジャンプすることも
あろうが、「頑張る」は、あまり関係ない。


前者の「頑張る」は、とりあえず、いいと言ったが、
どうやら、進歩したり先に進んでいくには、あまり
「頑張る」は、必要ないようである。


タンタンとこなし、ときどきジャンプ、またまた、
タンタンとこなし、ときどきジャンプ・・・である。


とにかく、頑張ってはいけない。私も頑張らない
・・・。