rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

自他共立


朝風呂が気持ちいい季節になってきた。夏場
は、入りたくても暑くてシャワーで済ませていた。
朝風呂のいいところは、ちょっとした考え事が
できることだ。今日一日のこと、建築のこと、
世の中のこと・・・などなど。てなことで、今朝
考えたこと。


人は、一人では生きていないということ。自分
のことを振り返っても、建築の設計の仕事を
しているのも、親が学校に行かせてくれたこと、
家業を継がなくてもいいと自由にしてくれた
こと、この道を選ぶに当たって出会った様々な
人々、等々周囲の環境によって、ここまで至った
ことにいまさらながら気付く。


これまでに出会ってきて、自分に影響を与えて
くれた人々はみな、自立した人たちだった。人
は、一人で生きていないといっても、だれかが
だれかに頼っているだけでは、生きていて豊か
な社会とはいいがたい。自立した個人が、自己
の専門分野はきちっとこなしながら、対する
相手側に少しだけ領域を越境しながら、お互い
に影響しあう関係が望ましいように思う。


サッカーでも、FW、MF、DF、それぞれの選手が、
自分の守備範囲のみに徹していても、エキサイ
ティングなプレーは生まれない。それぞれの専門
分野をきちっとこなした上で、他領域に越境し合い、
一つの生物のように流動的に、場面場面に対応
して変化していく。このような動きができる
チームのサッカーは、みていてワクワクする。


自立した人同士が、自己を越境しながら、互い
に影響し合いながら生きていく。そんな世の中
になると、おもしろい。


「自他共立」、である。