rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

自分の感受性が変だと認識することで見えてくるもの


小さい頃は、自分が世の中のスタンダードだと
思っていた。自分のふつうは、他人のふつうで
あると思い違いをしていたのだ。その頃は、自分と
他人の考えることにズレがないと考えていたので、
世界は平和で、人々の思いの微妙な差異にも
気付くことなく生きていた。


ある時期から、自分の考えていることと振舞い
に大きなズレがあり、さらに自分の考えるふつう
が、他人や世間一般のふつうとも大きく異なる
ことにようやっと気付く。


こうなって、初めて分かることがたくさんあった。
自分と他人が違うことはもちろん、人と人も少し
ずつ、さまざまな差異があることが見えてきた。
自分は変だと認識していないと見えてこないこと
だったのだ。だからそれからは、何かあるごとに
自分は変だということを必ず思い出すようにして
いる。ついつい、人は、自分がスタンダードだと
思い込みがちなようだ。


中国の中華思のように、自国がスタンダードで
あると思い込んでいるから、中国こそが世界の
中心だと考える。アメリカは、自国が正しいと
思い込んでいるから、世界の警察国家であろう
とする。


思い込みは、ふつうやスタンダードと関係がある。
固定観念をあたまから捨て去ることで、ほんとう
の世界が見えてくる。


こんな変な私は、こんな変なことを、日々考え
続けている。