rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

小さな越境、大きな越境、どちらも信用によって成り立つ


越境といえば大げさだが、人が外部と関わる
ときは、いつも自分を乗越えることが必要で
ある。


まず、大きな越境について。環境や文化が
まったく異なる外国に一人で生活すること。
自分が属する職域を飛び出て、他の領域の
人たちとともになにかを共同ですること。
たとえば、建築から都市へ、芸術へ、社会へ、
などなど・・・。


大きな越境には、外に出て行く勇気と、人を
信用し信用される力を必要とする。


では、小さな越境はどうか。もっとも小さな
越境は、隣人と話すことである。人と話すとき
にも、初対面の人ならば、ある種の勇気は
必要である。大きな越境と同じように、人を
信用し信用される力は、その度合いは小さく
なるにせよ、コミュニケーションを成立させる
には必要である。


人を信用し信用されるということ自体が越境
行為といういうこともできるかもしれない。


コミュニケーションは、自分の殻から飛び出し、
さまざまなシチュエーションを想像する力を身
に付けることによって、はじめて、成り立つもの
なのかもしれない。


きょう、東京は雪である・・・。