rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

経済原理


貨幣は、価値を具体的にしるすためにつくられた
抽象的なものである。また、貨幣の多い少ないを
表す数値も、抽象概念である。これまた、経済と
いうものも、見えざる妄想によって生み出される
魑魅魍魎のようなものである。


こんな得体の知れないものをして、経済原理など
ということをいっても、何がなんだかわからない。


貨幣の多い少ないという数値だけは、お金の量で
具体的に図ることができる。だから、お金その
ものの具体的な動きこそが、唯一信用の置ける
ものとされているのではないか。これを、ひとは
経済原理という。覚めた目でいえば、いわば信仰
のようなものだともいえなくもない。


経済活動の大本をたどっていくと、日々ていねいに
作物をつくっている農家であったり、緻密なものを
一つ一つ自らの手でつくる職人であったりする。
それらが、貨幣経済に巻き込まれることで、経済と
いうバケものに変化するのだ。


こうした人々の具体的な日々の生活が、経済の
背景にあることをイメージしながら、経済活動に
関わっていかないと、経済原理は、つまらぬただの
ゲームや宗教になってしまう。


想像力を働かせて、背景にあるものをイメージし
ながら、あまり自分には肌の合わない、経済原理
というものに関わっていきたいと思う。