rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

言葉というもの


言葉はどのように生まれたのだろうかと考える。


農耕や狩をしているときは、ものを指さしたり、
うなずいたりすることで、意思は伝え合える。


しかし、畑や狩場から住居に帰り、明日の作業
についてコミュニケートするには、指すべきもの
がないので、絵を描いて示したり、指すべきもの
に、音を与えて、人に伝える必要が出てくる。いま
ここにないものやことについて、コミュニケート
しなればいけないからだ。


ここで、脳の中では、目に見える具体的なものを、
概念として抽象化する作業が行われる。言葉の
発見こそ人間が人間たるに至る最初の出来事
なのだろう。


このように、言葉は抽象化や概念化と結びついて
いる。言葉によって、さまざまな抽象的な理論が
構築される。また、言葉のアナロジーとして、建築
が考案され、都市が構築される。


しかし、芸術一般については言葉だけでは成り立た
ない。感覚的に見えざるものを見つけ出す能力が
ない限り、表現されえないのが芸術なのである。
建築も然り。


建築は、99%の言葉による概念と、1%の感覚的能力
によって成り立っている。


感覚的なものについてもう一度考えてみる必要が
ありそうだ。