rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

なにかにすがりたいとき


自分の中にはなにもないと、声を大きくして
生きてきたが、こんな私でも、時々、頼りに
なる、何か確固とした核のようなものがほしい
と思うことがある。


そんなときは、大抵が疲れているときだ。
自分の中にはなんにもないよといって突っ
張って生きるには多くのエネルギーを必要と
する。その力がないときは、外のなにかや、
自分の核のような、なにかにすがって楽を
したいと思うのだ。


だから人は、自分の中に確固とした信念を
持てとか、何かの宗教に入りなさいとかいう
のだ。できる限り勝手に生かしておいてもら
いたいと思う。


でも、いまはなにかにすがりたいとちょっと
思う。かなり、精神が弱っているのだろう。


いや、これからも、ずっとずっと、死ぬまで、
赤塚不二夫的なバガボンド精神で生きて
いかなければならないのだ!!


それが、いいのだ!!