rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

仕事の社会的機能


ふと思いついて、仕事とはなにかについて、考えて
みた。


もちろん、生活していくためには、仕事でお金を稼ぐ
必要があるのだが、そうではない側面もあるのでは
ないかと考えを巡らせてみる。


貨幣経済が発達する以前の仕事はどんなだった
だろうか。動物を捕獲するのが得意な人たち、魚
を取るのが得意な人たち、木の実など自然にある
ものを収穫するのが得意な人たち、それぞれが
得意なことで、生活を立てる。自分がとるもの以外
のものを食べたいと思えば、等価値の獲物を交換
すればいい。


見方を変えれば、社会との関わりの第一歩が仕事
だったのではないか。その関わりとは、モノとモノ、
人とモノ、人と人、などを結びつけることだったの
ではないかと思う。


貨幣経済の確立とともに、こうした仕事本来の
意味は薄れていき、生活の糧としてのお金を稼ぐ
ための手立てに成り下がってしまった。


Googleなどに代表される、いま成長拡大を続ける
企業の特徴は、社会に対してオープンであること、
なにかとなにかを結びつける仕事本来の機能に
基づいて展開していることのように思える。


パン屋さんだって、土建屋さんだって、魚屋さん
だって、仕事のおおもとに立ち返って考えれば、
いまなにをやったらいいかが見えてくるはずだ。
それをやり続けていれば、いますぐには儲かりは
しないが、5年後10年後にはきっとなにかのかたち
で戻ってくるはずだ。社会に貢献しているところ
には人が集まり、人やモノが動き始める。そこに
お金が関わってこないはずがない。


目先のことではなく、深く基本的なことを考えること、
これがいまだれもに必要なことのように思える。