rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

自分のあたまで考えること


仕事というものは、成果物をイメージして、それ
が最善なものになるよう逆算して日々の作業を
自分のあたまで組み立て実行することで成り立
っている。それが出来てはじめて報酬を得ること
ができる。


日本の社会では、明治維新以降急速に工業を
発展させるために、人々に考えさせない教育
を施してきた。社会や企業も考えないでも進ん
でいくシステムをつくることで「効率」を高めて
きたつもりであった。


考えない国民をつくることは、統治する側から
すると確かに効率的である。共産主義も考え
ない国民をつくるためのシステムといえるかも
しれない。だから、ポル・ポトも都市の知識人
を抹殺したのだと思う。


でも、自分のあたまで考える人が増え、それら
の人たちが大きな目標に向かって考えを重ねて
具体的によりよい社会をつくっていくことができる
なら、これほど効率的な社会はない。なぜなら、
間接的だが具体的に個人の意見が反映される
システムだからである。やっぱり、前から言って
いる「利己的利他」的な社会ができるといいと
思う。


とにかく、自分のあたまで考え人と協働し、具体
的にものごとを動かしていこう。