rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

景気について考えてみる


景気がいい、景気がわるい、などとよくいわ
れるが、自分の生活はそんな景気とあまり
関係ないところで動いているので、よくも
わるくも、ほとんど実感として感じたことが
ない。


バブルの頃、あまり景気のよさの恩恵は
受けず普通に貧乏だったし、バブル崩壊後、
景気がわるいといわれた頃も、生活その
ものは景気がいいときとあまり変わらな
かった。それがいいのかどうかは分から
ないが、いまの世の中はテレビや新聞、
などのマスコミの言動に左右されすぎて
いる。


景気がわるくなることにより、自分の仕事
が全くなくなってしまったら、景気に対する
感じ方は180度変わってしまうのだろうか。


設計の仕事がなくなってしまうのはとても
悲しいが、そのときはそのときで死なない
で食べていく方法を考えなければいけない
だろう。


景気のよしあしについては、学者が考えた
経済学的な指標があるのだろうが、実際に
諸被害を具体的に被るのは末端の人間で
ある。いまの世の中は指標が一人歩きし
すぎているような気がしてならない。末端
の実際に苦しんでいる人たちの雇用をどう
シフトしていけばいいかを大きな将来の
希望に向けてつくり上げていくことの方が
重要である。


かつて、「ムーディーズ」なるアメリカ中心
主義的な企業格付け会社があったが、どこ
に行ってしまったのだろうか。格付けに
よって、ある一定の人たちの利益のために
社会的な架空の信用を増殖していただけ
だったのかもしれない。これも、格付けが
具体性からかけ離れて一人歩きしたわるい
例の一つといえよう。


全体の大きな流れをつかむことが無用だと
いっているのではない。全体をみることに
よって、個の具体性を喪失してしまうこと
こそが問題でなのである。


個を強くして、自分のあたまで考え行動
できる力をつけていくことこそが、これらの
閉塞した状況から脱する唯一の方法の
ように思えてならない。