rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

承認されるということ


このブログでも、自分がはまれる場所を
見つける必要があると書いてきたが、社会
学用語でいうと、「承認される」ということ
らしい。


「承認される」ということは、自分の周辺の
人たちから認められることである。しかし、
現代は、自分の周辺の人たち、つまり、
「みんな」の集合のあり方がとても曖昧に
なってしまっている。


「みんな」が目に見えていた頃は、「承認」
も比較的分かりやすかった。いまという
時代は、自分がはまれる場所、つまり、
「承認される」場所が非常に難しい時代
である。生きること自体ことが厄介だ。


でも、そう嘆いてばかりいられない。認めて
くれる人たちを特定しにくく、そういった場所
がないのであったら、自分で承認してくれる
人たちの集団をつくり、その人たちとともに
生きていけばいいのではないかと思う。


いくつかの集団ができれば、集団同士で
付き合い方を考えなければいけない。なん
でも、ナイナイといってばかりいないで、
ほしい環境を自分たちでつくっていけば
いいと思う。


それも、できるだけハッピーに・・・。