rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

人のあたまもゼンマイを巻かなければ動かない


忙しさにかまけて、ゆっくり本を読んだり、
深く思考する時間がとれない。いや、取れ
ないというより、あまりあたまが働かない
周期に入っているのかもしれない。


確かではないが、自分の場合、この周期が
年に4回あるような気がする。それは四季
とは一致するわけではないが、ものごとを
深く考える時期、深く考えられない時期、
が交互にやってくる。いまは、その後者に
当たる。


深く考えられないから、なにもしなくても
いいかというとそうでもない。深く考えた
時期の脈絡を一掃したいという願望が深く
考えられない時期をもたらしているのかも
しれない。


さらにもう一歩進むために、以前の思考を
いったん断ち切って、新たな構築をする
準備期間なのかもしれない。


だからこそ、そんな時期には、新しい本を
読んだり、普段合わない人と会って新しい
話をするのがいいのだろう。


本を読むことは、過去の他者、会うことの
できない他者と出会うことである。人と
会うこととは、現在変化し続けている生身
の他者と会うことである。


いずれにしても、人間はなんらかの他者の
思考を知ることでしか自己を相対化すること
はできないのである。


そうしてきょうも、あたまのゼンマイを巻き
続ける。