rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ユーモアについて


お笑いについて考えてみよう。だいたいの
お笑いは、生真面目に日常を誇張する
ことによって生み出されている。


社会一般の常識的なことを誇張すること
でお笑いになる。たとえば、テレフォン
ショッピングの出演者のしゃべりやしぐさ
はかなり変だけれど、あれはああいうもの
だとして認識されているからフツウのこと
のように感じられている。しかし、その
方向性をより誇張すると、そもそもおか
しなものであったとことが再認識され、
笑いを生む。世の中には、まじめに考え
るとおかしなことばかりなのでこの手の
お笑いは無数にある。


タモリの坂に関する言及、みうらじゅん
崖と仏像マニアなどは、それらをとことん
生真面目に突き詰めたその先に、フッと
立ち現われたユーモアである。


私は、植田正治という写真家の写真が
大好きである。彼の写真は、「演出写真」と
いわれるごとく、精緻に計算し尽くされた
写真である。生真面目に対象と向き合う
ことで彼の写真は成り立っている。しかし、
ただそれだけではない。生真面目の行き
着く先に、ユーモアが立ち現われている
のだ。田舎のおじさん、おばさん、子供
たち、それに、なんでもない風景写真が
生真面目に撮影された先のユーモア。
これがなんともいえない魅力を放って
いるのだ。


ユーモアは、生真面目の産物であるとも
いうことができる。


建築においても、とことんコンセプチュアル
でありながら、その先に人をホッとさせる
ようなユーモアを伴う建築をつくっていき
たいと思う。