2010-10-29 余剰的 社会 人との付合いが発展的になるときの自分の 状態を思い出してみると、いつもよりなに か余剰なものが自分の中にあるときにそう なるようだ。 余剰的なものがお互いになく、対話しても それぞれの個人の気圧は同じで気持ちや 思いが移動したり伝わったりすることは ない。 できれば両方に異なる余剰なものがあると、 気圧や高度の高低が対話の中に生じ、それ ぞれの余剰が相手の余剰を刺激し合うのだ ろう。 言わば、余剰的なものはコミュニケーション における触媒のようなものなのかもしれない。