rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

余剰的


人との付合いが発展的になるときの自分の
状態を思い出してみると、いつもよりなに
か余剰なものが自分の中にあるときにそう
なるようだ。


余剰的なものがお互いになく、対話しても
それぞれの個人の気圧は同じで気持ちや
思いが移動したり伝わったりすることは
ない。


できれば両方に異なる余剰なものがあると、
気圧や高度の高低が対話の中に生じ、それ
ぞれの余剰が相手の余剰を刺激し合うのだ
ろう。


言わば、余剰的なものはコミュニケーション
における触媒のようなものなのかもしれない。