rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

対立を脱構築する


自分が生きてきた歴史の中で語ると、少し上
の世代は国家権力を壁として想定し対立の
構図をつくっていた。60年代〜70年代のいわ
ゆる全共闘世代である。


それから15年くらい遅れてきたわれわれの
世代はシラケ世代といわれ、全共闘世代が
勝ち取った学校内の自由を享受するのみで
自ら行動をしないと上の世代から揶揄された
世代である。


われわれから遅れて、5年後くらいから共通
一次試験のしくみが浸透し、対立すべき壁を
不可視のものとし、目に見える対立項を喪失
した。その後、冷戦が終わり、経済のグロー
バル化などの影響もあり、壁は透明化し見え
ないシステムと化した。いまここで対立すべ
き壁をシステムであるとして、こちらを被害者
とする構図をつくってもなにも新しい未来は
生まれない。


こうしたことがよく見えるのは、自分がシラケ
世代に属していたが故なのかもしれない。


歴史を振り返って見ればいい。対立は、新た
な別次元の新たな対立の構図しか生まない。
今意識的にやらなければいけないのは、対立
脱構築し無意味化すること、相手がシステム
であろうとなんであろうと同じことである。悪しき
システムの効力を無化することしかない。


既存のしくみに入り込み、しくみそのものを改変
すること。自分が建築やまちづくりに関わるとき
いつも念頭においていることである。


原発問題を初めとして、社会・国際問題などの
一連の本を読む中でこんなことを考えた。