rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

贈与的


資本主義の下では、モノやコトに価格が付け
られ、貨幣を媒介としてそれらが売買される。
いろいろなことを差異によって数値化し、「科学
的」に取引される。いわゆる贈与的なものを
徹底的に排除することによって成り立っている
自律的システムなのだ。


まちづくりなどに関わっていて、資本主義的な
ものとどうも折り合いが悪いなと思ってきたが、
それはあたりまえのことでもあったのだ。なぜ
なら、資本主義は自律的に作用し、人と人や、
人と自然との関わりを無視したところで執り行
われるものなのだ。それに対してまちづくりは、
その人と人や、人と自然の関係こそを基本に
組み立て上げられる。つまり贈与的なものが
介在しないと始まらない。


社会と資本主義の関係も相似である。お互い
相容れないものである。


建築家の設計デザインが、資本主義との折り
合いが悪いのも同じことだ。建築家が設計する
建築は商品ではない。プレファブ住宅や建売
住宅は出来上がった商品として数値化されて
貨幣によって取引される。一方、建築家が設計
する住宅は、まだそこにないものを対話と建築
家の空間想像能力とによって、建て主との協働
を通してつくり上げていく。そこには建築家から
の贈与というかたちで空間が建て主にプレゼント
される。建て主からの返礼はこれまた、感謝の
気持ちとして建築家に贈与される。このように、
建築家と建て主の関係は明らかに資本主義
から逸脱している。


3.11以降、なにかが変化していこうとしている。
数値化された資本主義ではないもの。贈与的
なものを媒介した新しい社会が求められている。
農業や漁業は太陽からの光量子という贈り物
をもとに成り立っている。商品といわれるものも、
これらの食物をエネルギーとした人間によって
つくられている。この社会を成り立たせているの
は太陽からの贈与に他ならない。こうした意味
で、贈与的視点からの社会の変換が求められて
いるような気がしてならない。


そういえば、新たなエネルギー源として考えられ
ているものもみな太陽からの贈与によって成り
立っている。太陽光発電はそのものだし、風力
発電も太陽熱による気流によってもたらされる。
バイオマス発電だって、太陽光によって成長した
樹木を燃やすことによって電気がつくられる。


贈与的視点でものごとを変えていく。これまた
最近何冊かの本を読むことによってもたらされ
た視点である。