rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

数値還元できないもの


数値還元できないものについてよく考えな
ければいけない時代がやってきた。


人の気持ちは、お金には換えることはでき
ないが、それを受取った人たちに希望と
勇気を与える。気持ちの交換としての物々
交換。ほんとうの人の気持ちはそこにある。


労働は報酬という形態によって貨幣交換
可能なものとされている。ここでは、人の
気持ちを排除した生産機械としての労働力
に対して換金される。


簡単に換金できない類の仕事もある。医療、
教育、デザインなどがそれに当たる。


同じ医療費を払っても、医者の人徳、人と
の気持ちの交流、先を見通す力、処置の
的確さになどよってその治療結果は変わっ
てくる。


教育も然り。同じ時間同じカリキュラムで
教えても教育効果は教育者によって異なる。


デザイン分野でも、作業報酬は同じでも
表現のレベルはデザイナーによって全く
違ってくる。


医療と教育については、社会に奉仕する
という尊敬に値する「先生」として敬われ
て初めて機能するものである。消費対象
にはなりえないものであり、人の気持ちの
交換があってこそ成り立つのだ。


デザインについては、未知のより豊かな
成果物に賭けるクライアントの気持ちこそ
がデザイナーの気持ちを動かすことができ
る。ここにも貨幣には還元できないものが
介在している。


高度資本主義社会の中で、全てのもの
を消費対象としてみる傾向がいまの社会
をいびつなものにしているといえよう。いま
こそ数値還元できないものにスポットを
当てて、社会のあり方を再検討すべき時
のような気がする。そのきっかけを、3.11
が与えてくれたのだ。