rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

成長しない社会の中で


生まれてからこの方、社会は成長し続ける
ものと思い込んでいた。高度経済成長から
バブルまで、全ての社会システムが成長を
前提につくられていた。成長が少ないこと
成長しないことはわるいこととされてきた。


いま、ゼロ成長どころか衰退を始めた日本。
そんな社会の中でどのように生きていけば
いいのか。いまだに成長を求めているよう
では状況はどんどんわるくなる。なぜなら、
目指していることが実現される確率がゼロ
ならば当然マインドは下がるだろう。まずは、
衰退していく社会であることを受け止め認識
すること。ここから始めなければどうにも
ならない。


成長していた時代は、国家も成長に向けて
未来の希望を掲げ、国家的プロジェクトを
どんどん推し進めその方向に乗せて、国民
のだれもが将来をあたまの中に描くことが
できた。そんな時代なら、どう生きていこう
かなどと考える必要もない。上からどんどん
やるべきことが示されるから、なにもくよくよ
考えなくてもいいのだ。


さて、そうすればまの社会をどのように生き
ていけばいいのだろう。社会の大きな方向性
はない。自分たちで向かうべきものを見つけ
育てていかなければいけない。成長時代の大
きな方向性の中で見過ごされてしまったもの
をもう一度考え直せばいい。


人と人との関係、人と社会の関係、小さな
社会同士の関係、再編成すべき関係はいくら
でもある。関係を再構築することでもう一度
社会のあり方をみんなで考えていけばいい。
その中で、ゼロ成長レベルで社会がまやかし
もなく健全に回っていくしくみをつくっていく
ことができればいい。


成長なき時代のデザインについて、大きな
目指すべき方向がなく、個人の感覚に頼り
すぎているという批評家は多い。感覚的で
もいい。見直すべき関係を再構築していく
方向に向けて進んでいくなら、個人の力を
磨き、個人同士の関係を構築していくこと
から始めていくしかない。


いまできることは、小さな関係を積み上げ
ていくことだ。