rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

個人と民間に公共性を持たせる


人と出会うこと、これこそが人生の中で
もっとも重要で大切なことかもしれない。


人間は人の交流を促進するために鉄道、
自動車、飛行機などの高速移動手段を
開発してきた。一方で、遠方との通信を
より便利に高速化するために、電話、イン
ターネットなどを発明してきた。


後者は、人と人が直接対面することなく
情報をやりとりする「手段」だったのだが、
この行為があたかもコミュニケーションの
目的のようにとらえられる時期が長く続
いてきた。震災以降、人は人とつながる
ことによってしか社会を豊かにできないと
いうことを再認識させられた。


人の気持ちやパッションは直接会って
表情、話し方、身振りを見ることによって
膨大な情報をやりとりすることができる。
つながるべき人と人が出会うと思わぬ
おもしろいことが発生する。人がつながり
さらに展開すること。これこそがいま求め
られていることなのかもしれない。これは
個人が公共性を持つと言い換えてもいい。


震災後、社会に求められているのは個人
や民間が公共性を持ちつながり合い、既存
の「公共性」という硬直してしまった社会の
システムを更新していくことなのだと思う。