rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ブリコラージュ


ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分
で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」
とも訳される。元来はフランス語で、「繕う」「ごま
かす」を意味するフランス語の動詞 "bricoler" に
由来する。


ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を
作る「エンジニアリング」とは対照的なもので、その
場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として
何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい
物を作ることである。(以上:Wikipedia)


そんなことでうちにも、購入した家具の組み立て
用の簡易工具、その他に使用方法が分からない
金属やプラスチックなど訳の分からないものが
まとめてある。いつ何に使えるか分からないのに
である。でも数年に一回くらいは意外なところで
出番がある。想像だにしていなかったことに使わ
れるのだ。これも一種のブリコラージュと言えよう。


現在では、多くのものが出来合いの完成品として
売られているので、人間のブリコラージュ的な
想像力は退化してしまっているように思われる。
なにかが故障したりなくしたりしたらすぐ買えば
いいということになってしまう。修理したり、なくな
った部品を何かで補って使えるようにしたりして
みようという考えは少しも出てこない。


食品もキャベツの千切りまであるようにほとんど
手を掛けないでも食事ができるまで加工され既成
品として売られている。料理も実はブリコラージュ
なのである。


アポロ13号の搭乗員の命を救った、着陸船内の
あり合わせのものでつくった水のフィルターも
ブリコラージュの成せる技であった。


建築のデザインも様々な要望をブリコラージュ的
に解くことで成立している。新しいディテールを
考えるときはまさにブリコラージュそのものである。


昨今の政治や社会の諸問題もブリコラージュ的
想像力を駆使すれば、かなりのものが解決でき
るような気がしてならない。