rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

腹が立つということ


腹が立つことはあまり心地よいことではない。それ
でも時々腹が立つことがある。


腹を立てる対象には、大小様々な組織、他人、自分、
などがある。


組織については、全体のしくみがうまく回っていない
とき、一部の人が得をしていたり、虐げられている
場合に腹が立つ。組織のできる限り大多数が気持
ちよく参加でき、意思伝達がスムーズに行われる
ことを善しとしているのでそのように腹が立つのだ
ろう。


個人の場合、他人に対しては、自分が期待あるい
はイメージしているものより、低い場合あるいは
高すぎる場合腹が立つことがある。よく考えれば
想定したイメージに近くなければ腹が立つだけだ
ということである。これは結構下らないエネルギー
の使い方である。


自分に対しては、イメージより低い出来だともの
すごく悔しい。それをバネに次に当たればよい。
想像よりよい場合は、うれしいにはうれしいのだが、
たまたまだと自分を戒めてより更なる発展を目指
せばよい。


どうやら、腹が立つという現象だけで思考停止に
なってはいけないようだ。組織に対しては、腹が
立った対象をより良くするための行動をを起こす
べきである。自分に対しても、よりよく展開していく
ための材料とすればよい。


問題は他人に対してだが、前述のように腹を立て
ること自体が自分にとっては無駄なようだ。でも
もし意味があるとすれば、受け取る相手がこちら
の意図を汲んでくれ、より発展的に思考してくれる
可能性があるということである。そうなれば腹が
立った自分への救いとなる。


腹を立てるのはできる限り避けたいが、どうしよう
もなく腹が立ってしまう場合は、成り行きに任せて、
すでに起こってしまったことに対して、その後の
展開をどのようにいい方向に修正していけるかを
考えればいい。


これからも最大限にご機嫌に生きていきたいもの
だと考えている。