rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

体で覚える


テニスを始めて一年が過ぎた。いまだ思うように
プレーができるとはいえない。体で覚えるスピード
がかなり遅くなっている。歳を取ったからだろう。


高校時代にバレーボールをやっていた。いまでも
子供相手のレシーブ練習くらいならできる。若い
時に体で覚えたことはそう簡単には忘れることは
ない。自転車も水泳もそうだろう。そこで覚えた
ものはあまり脳は関与していないような気がする。
体の筋肉などの細胞の脳的な記憶によるものの
ように感じる。


受験勉強などの主に記憶による作業は実は脳で
はなく体が担当しているのではないか。大学受験
で覚えた英単語はいまだに頭、いや体の中にある。
実は脳が担当している部分はかなり少ないのでは
ないか。勉強でも思考するわけではないルーティン
的なものの担当は体なのかもしれない。脳のよう
なはっきり分離された「思考」ではなく、空間と時間
に関与する領域は体担当なのかもしれない。


iPS細胞のこともこう考えるとなんとなく合点がいく。
テニスのことを考えているうちにこんなことを考えて
しまった。