rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

テニスをしていて思うこと


テニスを始めて1年9か月になるが、進歩の速度が
遅い。頭では分かっているのだが、どうも身体が
思ったように動かない。脳で理解できてもそれを
身体に正確に伝えることは難しい。前にも書いた
ことがあるが、村上龍がエッセイか何かの中で
「身体のあらゆる細胞は思考している」と書いて
いたことを思い出す。まずは脳で考え身体に伝え
ようとする。その過程の中で、脳は思考を止めて
今度は身体の細胞が思考を始める。細胞が考える
ことにより、当初脳で考えたことを具体的に行動
に移し替えることができるようになるのではない
か。子供のころ自転車に乗ることを覚え、しばらく
乗っていなくてもすぐに乗ることができるのは、
脳の記憶ではなく、身体の細胞の記憶によるもの
なのかもしれない。テニスも身体の細胞が思考
するようになるまで練習に励まなければいけない
のかもしれない。


このことを建築に置き換えて考えてみた。建築は
構成などの操作的なことは、脳で考え理解する
ことができる。しかし、空間的なことについては
脳だけでは感じることはできない。気持ちよさや
快感といった感覚は頭で理解するものではなく、
身体の細胞によって感じ分かるものなのかもしれ
ない。ここところが、建築の難しいところでもあり、
興味深くおもしろいところでもある。


身体の細胞で思考すること、なかなかおもしろい
テーマである。