rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

教養、リベラル・アーツについて


内田樹さんがどの本だったか忘れてしまったが、
教養についてこのように書かれていた。「教養
とは、他者の立場に立って考える能力である。」
(文言は正確ではないかもしれません・・・。)


蓋し、名言である。他者の立場になって考えると
いうことは、コミュニケーションそのものに関わる
ものだということだ。昨今、教養、リベラル・アーツ
の教育における重要性が何人かの知識人によっ
て叫ばれている。


教養、リベラ区・アーツとは、大学の教養課程で
学ぶ、哲学、社会学文化人類学、文学、歴史
などがそれに当たるといえるだろう。(正確な定義
はおそらく少し異なるかもしれない。)


大学1・2年生のころは、教養課程がそれほど
重要なものだとは認識していなかった。しかし、
4年、大学院で研究室に配属されて本格的に
建築を学ぶようになって、哲学、歴史学社会学
文化人類学などのリベラル・アーツが分からなけ
れば建築が分からないことに気付いた。それ以降、
リベラル・アーツを気にしながら本を読みあさり
建築を考えてきた。後になって気付いたことだが、
それまで建築の側からしか建築を考えてこなかっ
たが、その立ち位置を相対化するためには、建築
以外の学問の力が必要だと考えるようになった。
内田樹さんがいわれる、他者の立場で考えると
いうことと同じことである。


リベラル・アーツは就職活動などの短期的な
利益からみると、非生産的で無意味なものの
ように見える。しかし自分の仕事を深めていく
ことを考えると、自分の立ち位置を見つめ直し
ながら自分の頭で考えよりよい仕事をしていく
必要がある。よりよく生きていくには、リベラル・
アーツが必要なのである。


いま一度、教養、リベラル・アーツについて考え
るべき時期になってきているような気がする。