rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

人にものを考えさせないシステム


自分の頭で考えて自ら行動する。そんな思考で
動いている人の割合が相当減ってきているよう
に感じているのは自分だけだろうか。


冷戦以降、IT革命黎明期の1995年前後の論調
では、日本の教育制度は明治維新以降の国家
が扱いやすい人間を数多くつくりだすという方針
が継続しており、すでにその仕組みは古く、もの
考える人間を生み出す教育に移行していくべき
だという傾向が強かったように思う。それなのに
もの考える人間は減少するばかりである。なぜ
なのだろうか。


考えを巡らせていくと、グローバリズムという問題
に行き着いた。グローバリズムは、国家間の障壁
を打ち崩す方向で進んでいく。また、国家以下の
障壁も壊していくことになる。都道府県、市町村、
町内会、家族、そして個人。個人の障壁は端的
に言えば、ものを考えて自ら行動することである。
グローバリズムは個人の障壁までなくそうとして
いるのだ。


一方でグローバリズム新自由主義、経済至上
主義を標榜する。それは何を意味しているかと
言えば、学校では費用対効果に基づき最小限
の努力で最大限にいい学校に進学し、さらには
いい企業に就職する。そして、経済的に優位に
立つための結婚をし、精神的な豊かさを享受
することなく死んでいく。こうしたかたちで教育に
グローバリズムが影を落としているのではない
かと思う。明治維新以降とは異なったかたちで、
考えない人間を生産し続けているのだ。


ジャーナリズムも同じような方向に進んでいる。
新聞もテレビもラジオも、君たちは何も考えない
方が幸せに暮らせるよ、黙って自分たちが勧め
る商品を買いなさいというメッセージを送り続け
ている。グローバル企業のメッセージを毎日繰り
返し発信しているだけなのである。


まずは、そのことに気が付く必要がある。こうした
メッセージに自覚的に対応し、自分の頭で考え
自ら行動する訓練をしていかなければいけない。


昨今の諸問題、秘密保護法案、TPP、集団的
自衛権などは、その根っこにグローバリズム
あるように思えてならない。


少なくとも、自分の周りにいる人たちとはできる
限り認識を共有していきたいと考えている。