rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

メタ的思考、深層を読み解くこと


いま、内田樹さんの著書「憲法の空語を充たすため
に」(かもがわ出版)という本を読んでいる。内田さん
がかねてからいろいろな所で発言されているコミュニ
ケーションについて言及されている。


この本の中にその発言をすっきりまとめてある箇所
があったの引用させてもらおう。「コミュニケーション
能力というのは、言いたいことをロジカルにわかりや
すく滑らかに表現できる能力のことだと思っている人
が多いけれども、それは違います。コミュニケーション
能力とはコミュニケーションが断絶してしまったとき、
つまり、言葉が通じない、相手の意思が分からない、
目の前にいる人に共感できないというコミュニケーシ
ョン失調状況から抜け出す能力のことです。取り付く
島のない絶望的なコミュニケーション失調状態から、
あらゆる手立てを尽くして、使える資源はすべて使っ
て、コミュニケーションの基礎となる場を手作りする
能力のことです。すでに出来上がっているコミュニケ
ーション・プラットフォームの上で、一意的に定義され
た言葉を効率的かつスマートにやりとりする能力の
ことではありません。むしろ、「ないもの」を創り出す
ことです。瓦礫の上から使えそうな資材を拾い出して、
崩れた建物を再構築する作業に近い。」


これまで自分が話したり書いてきたことをものすごく
気持ちよく、内田さんにまとめていただいたという
気持ちである。コミュニケーション能力は決してスタ
ティックなものではなく、人間相互のクリエイティブな
能力であるということがすっきり分かる。


いまの世の中、簡単に言葉になることをあまりに安易
な言葉として流布することに能力の重きを置き過ぎて
いる。表層には見えていないものごとの深層やシステム
を読み解くということはしなくてもいいというような風潮
があまりに強すぎる。このまま行くと多くの人がどんどん
コミュニケーション失調状態に陥っていく。そして人材
劣化はさらに進んで行く。もっとメタな次元で考えたり、
深層に潜むシステムを見つけるような思考方法を深め
ていかなければいけない。こうしたことが、いまの教育
システムからは意図的排除されているような気がして
ならない。いわば国家や企業から見て都合のいい人間
をつくろうとしているように見えるのは自分だけだろうか。