rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

会社化する社会


小学校、中学校、高校は上位の学校に行くことを
目的にした組織。大学、大学院はより良い企業に
就職することを目的とした組織。教育という本質
的なことから離れて、こうした短期的な成果を求
める状況はまさに会社といってもいいものになっ
ている。


政府や地方自治体の長は、もし現政権に不満が
あるのなら次回の選挙で落とせばいいといって
いる。国や地方自治体は、50年後、100年後を
見据えて運営していくものではなかったか。ここ
でも短期的な成果を求め、次回選挙に落ちれば
自分の政権での責任はそれでチャラになるという。
行政までもが会社化している。


教育や政治は、会社のように貨幣や数値に還元
出来る成果を求める性質のものではない。自分
で考え不測の事態に対応できる教養を身に付け
るのが教育であり、長期的な視野を持って国民
を幸福に導くのが政治ではなかったか。


社会の会社化は、反知性主義と社会の表層化を
もたらす。いま新たに起こりつつある諸問題はこの
会社化する社会に原因があるのではないか。


数値化できないものを見殺しにしていくと大変な
ことになる。文化や国家の存立に関わることで
ある芸術、音楽、政治などは会社的な発想では
成り立たない。様々な能力や才能を贈与すること
で成り立っている。


建築空間のデザインも贈与性を持つことによって
はじめて成立する。数値化できないものをもっと
大切にしていかないと、世の中はつまらないもの
になってしまう。


いまの社会状況を見ていて、自戒を込めてこんな
ことを考えた。