rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

本を読むということ


自分は本を読むのが好きだ。いつ頃から
本を読むようになったのだろうか。小学生の
時も読んでいたと思うが、本格的に読み始
めたのは中学生のころだと思う。高校に入
ると、友人たちはかなり難しい本を読んで
いた。それに触発されてたくさん本を読ん
だ。大学に入ると、建築を中心として関係
のある本、哲学、アート、文学関係の本を
読んだ。春休みと夏休みは、読書するには
格好の時間であった。そんなことで、これ
までずっと読書を日々の習慣としてきた。


本を読むということはどういうことだろうか。
私は、読書とは他者とのコミュニケーション
だと考える。本の著者は古今東西、時間
と場所が異なる場所で本を通してそれぞれ
の言説を著している。本を読む行為は、その
著者の時代、国、周辺環境を想像しながら
本を読み続ける必要がある。またそのこと
を通して著者になり変わってその言説を追
体験する。この行為はまさにコミュニケー
ションそのものといえないだろうか。


いま現在生きている現実の世界での他者
とのコミュニケーションもその他者の生い
立ちや考え方を想像しその相手になり変わ
って考え合うことで本当の意味でのコミュ
ニケーションが成立する。読書でのコミュ
ニケーションは現実世界でのコミュニケーシ
ョン行為をより深く豊かなものにしてくれる
ものであるいうこともできる。


なにより現実世界でのコミュニケーションは、
今ここでという限定されたものである。本で
のコミュニケーションは、時間も場所も関係
ない。それらを自由に選択することが出来
る。ほとんどの著者とは直接会話する機会
はない。だからこそ貴重な体験になるといえ
るだろう。


だから私はこれからもずっと本を読み続ける
だろう。