rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

クライアント打合せ、眼科に行くなど

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きのうは午前中、北区の住宅のクライアント打合せ。基本設計も終盤を迎えつつある。第4案のプレゼンテーションである。1案ずつ大きなところと小さなところが少しずつことなる。第4案となるとそれらの部分や組み合わせのバリエーションが見えてくる。なんとなく目指すべきところが見えてきたようである。次回打合せは、第5案と第6案を同時に提案することになる。あと2回で基本設計は終わる。

 

スタッフと一緒に近所の蕎麦屋さんに行きお昼を食べる。事務所に戻り、プロジェクトの今後の進め方について話し合う。そのあと、スタッフのパソコンにプリンタードライバーをインストールするもうまく作動しない。諦めて、後日インストールすることにする。

 

午後3時前、区の健康度診断で指摘されたことを精密に見てもらうために眼科に行く。診断を終えて、コンビニで買い物をして家に帰る。少し早いがこのまま仕事を上がることにする。

 

ここのところ、漠然とした不安が世の中を覆っている。人はどこかに所属することで安心感を得る。いまは、どうやらその立ち位置があいまいになっているようだ。冷戦時代は、日本は西側諸国として東側の共産圏と対峙するというベクトルがはっきりしていル状況下にあった。国内では共産圏に対するイデオロギーでものごとを考えればよかった。国民もそれに従い、生産活動や経済活動をある方向性を持って進めていくことができた。しかし冷戦終結後のいまは、世界の国々は、それぞれのよりどころを失いそれぞれが孤立して存在している。国家の方向性がないので、その国民にも方向性を見つけることができず、人々はよりどころを見失っている。こうした状況とネット環境の境界の曖昧さが相まって、人々は孤立し漠然とした不安を抱えているというのが現在の状況なのだろう。