rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ゲリラ的


もう、20年近く前になるだろうか。
大学院の卒業パーティーの席で隣の研究室の教授から
今後どのような活動をしていくかと問われたとき、
反射神経で即座に「ゲリラ的」な設計活動を展開していきますと言った記憶がある。
振り返るとそのことばに導かれるように生きてきたような気がする。


大きな枠組みや法律といった大きなところから小さなところを変えていくことは
もちろん重要なことだ。しかし、小さなところからは全体がどう見えるかを考えないと
ちぐはぐなつながりのないしくみになってしまう。
いま、世の中の改革やしくみを変えていこうとする動きはその視点が欠如しているため
うまく回っていない。上から下へと変えていくやり方ではいくら緻密に考えても
見えないこと、とらえきれないことが多い。


そこで考えたのが、「ゲリラ的」な活動方法だ。
ものすごく身近なことを一個ずつ具体的に確実に変えて行くこと、そしてそれを持続すること。
しかも全体像を捕捉しながら・・・。
そして、似たような考えを持っていそうな人にその考え方をなるべく声高にいいふらす。
同時多発的に同じことが起こるよう展開していく。
オセロで一気にコマを裏返すように波及させていくこと。
そうなった時点で大きな枠組みや法律に言及し変革を促す。


いいふらし作戦はなかなか有効だ。
なぜか、会いたかったと人とめぐり合えたり、活動に必要な人材が集まってくる。
強い意志をもちながら軽くいいふらしつづけること・・・。


具体的な1対1の組み合わせによる、
練りにねられたシンプルなしくみこそいま本当に必要なしくみだ。


一戸の住宅から、戸建て集合から、まちを快適で豊かなものにしていくこと。
われわれは、いま、そんな活動を展開している。