rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

信じるということ


社会は、人が人を信じる、信じられる、信じ
合うことで成り立っている。人が人を信用
していなかったら、極論を言えば、世間も
成り立たないし、貨幣の価値、言語の意味
さえ成立しなくなる。


人がだれかになにかを頼むとき、信用の
閾値はどのあたりに設定すればいいのだ
ろうか。全面的に信用するのがもちろん
いいと思うが、だまされたら、ものごとは
それでおしまいとなる。この信用の配分は
非常に難しい問題である。


自分としては、信用できる相手はとことん
バカみたいに信用したいと考えている。
それで、だまされても、仕方がないとも
思っている。そのときは自分の眼識が
低いということだから、より精進しようと
思う。こうした余剰がものごとや社会を
動かしているのではないかと思う。


信じる力の余剰が重なり合うとき、おもし
ろいことが起こる。