rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

事務所→大学


きのうは午前中、メールチェックなど雑用
をする。


お昼前に事務所出て、大学へ向かう。課題
は図書館の設計である。実際にある図書館
を見てくるよう言っておいたが8割方は見て
きたようである。感想を聞くとなにを見て
きたのかがこちらに伝わってこない。どう
やら、見方が分からないらしい。おそらく、
つくる側の気持ちになって見ないと、その
建築のおもしろさは分からない。見て分か
るということはクリエイティブな行為なの
である。建築をつくっていい建築を見に行く、
この繰り返しで建築の見方も理解できる
ようになるのだろう。


このことは、どのクリエイティブな行為にも
言えることである。見ることはつくること、
つくることは見ることである。