rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

相撲の取組みについて


先週まで大相撲五月場所があった。相撲を
観ながら取組みについて考えた。


あれだけの多くの力士が一対一で短時間に
戦うスポーツは自分の知る限り大相撲しか
ない。その他のスポーツは、もっと時間が
掛り、抽選等でリーグ戦やトーナメント戦を
戦う。


一般的なスポーツは、誰と戦うかは公正に
抽選などで決められる。ところが大相撲で
相撲協会が状況に合わせて相撲協会
決めている。伸び盛りの力士は、上位陣との
対戦の機会を積極的につくる。後半全勝の
力士が何人か絞られてきたらその力士同士
を恣意的に対戦させる。最後の最後に優勝
決定戦があるように対戦相手を組んでいく
こともある。


この恣意的な対戦相手の決定方法によって
それぞれの場所を盛り上げているといえよ
う。大相撲でもトーナメント戦があるのだが、
「ふつう」のスポーツのようで盛り上がらない。
相撲協会の場所のストーリー付けが絶妙な
相撲空間を生んでいるのだ。


大相撲は、プロレスの短いバージョンという
こともできるかもしれない。プロレスのよう
に意図的な怪しさが大相撲をおもしろくして
いるともいえる。


先場所の取組みを観ながらこんなことを考
えた。