rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

金曜日、午後Zoom打合せなど

f:id:yoaa:20210529135527j:plain


きのうは、金曜日。晴れて暑い一日。午前中は、いくつかのプロジェクトの今後の進め方を考える構想的スケッチをする。

 

お昼は、山下商店街の和食屋さん「旬菜食いなだ」に行く。ヒレカツとクリームコロッケの定食を食べる。

 

午後からは、まずブログを更新する。そのあと、いくつかの雑用を済ませる。午後2時から、クライアントZoom打合せをする。高さ関係、床仕上げ、手摺、製作家具などについて打合せる。最後に今後のスケジュールに関して話す。実施設計最後の打合せだったが、1時間強で打合せが終わる。そのあとは、午前中に引き続き仕事を上がるまで構想的スケッチを続ける。

 

昭和2年芥川龍之介が服毒自殺をする。遺書に「ぼんやりとした不安という言葉を残す。明治・大正と急激に内面を伴わない西洋化がもたらした言葉なのであろう。この西洋化は、新自由主義グローバリズムによるもので、日本人のアイデンティティーと乖離しているものだった。今日に至るまでその状態が続いている。芥川龍之介の死は、3年前に自裁された西部暹氏と重なる。西部暹氏は、電車の乗客のほとんどがスマートフォンをいじっていることを嫌悪されていた。スマートフォンが象徴しているものは、新自由主義グローバリズムである。自分もその気味の悪さを今の時代に感じている。今日、感染症によって、新自由主義グローバリズムに歯止めがかかっている。今後どのような未来が待っているのだろうか。最近読んだ何冊かの本に触発されてこのようなことを考えた。