rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

アルド・ロッシの想い出


アルド・ロッシが亡くなってからもう何年経つだろうか。
数日前、ふとロッシのことを思い出した。


イタリア的な形態を単純化すると同時に、テクスチャーも
よりプアに表現する。微分化された建築は体験するものに
詩情を喚起させる。
人々のイマジネーションを刺激する建築をつくり続けた建築家だ。


ここのところロッシのような方向性をもつ建築家は評価されない。
建築のあり方に対してもっと鷹揚であってもいいのではないかと思う。


さてそのロッシだが、二十数年前会う機会があった。
大学の研究室に藤井博巳先生を訪ねてきたのだ。
藤井先生と隣の研究室の三宅理一先生の提案で会議室で簡単な
パーティを開くことになった。われわれ建築学生はここぞとばかりに
ロッシに建築に関する質問を投げかけたが、プライベートで
来ているとのことで建築に関することはほとんど聞くことができなかった。


二次会で三田の建築会館の裏手にある「庄屋」に行った。
ロッシは、藤井先生や三宅先生と離れて店の奥のほうに座りわれわれ
建築学生とテーブルを囲んだ。ここでも建築の話は聞くことができず、
イタリアのこと東京のことなど他愛もない話をすることになった。
最後のほうではみな無口になり、ロッシは背中を丸めて日本酒を
寂しそうに呑んでいた。


こんなことが二十数年前にあった。
いま、ロッシ的な建築がもっと表に出てきてもいいと思う。
そして、カルロ・スカルパも・・・。