rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

電子計算機


今頃、電卓のことを電子計算機をいう人もいないだろう。


カシオの電卓が比較的安い価格で登場したのは、
私が小学校5年生ごろ(1970年頃)だっただろうか。
関係ないけど、日本は大阪万博の年、
中国は文化大革命の最中だった。
担任の先生が、中共(中国のこと)ではいま文化大革命
進行中であると言っていたのをなぜか鮮明に記憶している。


そのころ、大きくなってから役に立つから
そろばんを習えとむりやりそろばん教室に通わされていた。
小学校の担任の先生が電卓を使っていたので、
これからは電卓の時代だから、もうそろばんはいらないから
やめさせてもらいたいといっていたのだが、
なかなかやめさせてもらえなかった。
そんなことで、電卓を見ると、冬の寒い日にそろばん教室を
サボって、裏道で時間をつぶしていたことを思い出す。
サボりを続けていたら、ついに親にばれて、
晴れて教室をやめさせてもらえた。


とにかく、そろばんは決まりきったことを何度も何度も
繰り返さなければならないのが苦痛だった。
ヤマハ音楽教室にも行かされたが、なんでオルガンを
両手で弾かなければいけないのか腑に落ちないので
数回行っただけでやめさせてもらった。
唯一、小学生の頃の習い事で通い続けられたのは、
習字(書道)だけだった。習字の場合、かなり適当に
書いても褒めてもらえるのが好きだった。
いま振り返ると、なんて単純なヤツだったのだろうかと思う。


電卓を見ていて、ふとそんなことを思い出した。