rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

昔買わなかった本を今読んでいる

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学生のころ、この本はおもしろそうだと思って手に取ったものの、買うに至らず読んでいない本をいま読んでいる。その本がなんともおもしろい。その本を見つけた時から現在まで、自分のあたまで考え練り上げてきたことがさらりと章立されて書き上げられている。

 

若いころ、その本を読んでいたらどうなっていたのだろうかと考えてみる。長い時間をかけて練り上げてきたことがここに書かれているのだから、そのころ、それを読んでいたら、これまでの努力してきたことが必要なく、自分の身についていただろうか。それだったら、自分はこれまでの多くの時間を無駄に使っていたことになる。

 

などと考えていて、いや若いころにその本を読んでいたら、どうなっていただろうとか想像してみる。その時代なりに役に立つことを身に付けていただろうと思う。これまで長い時間を使って身に付けてきたものには、それなりに時間の重みがあり、自分のものになっている。仮に若いころの自分がその本を読んでよく理解できたと感じていても、身体の中まで入ってくるようなものではなく表層的なものだったに違いない。そこで理解できたものを、時間をかけて発酵させ、自分の奥深くに取り込んでいくという、忍耐強い作業を通してでないと身についてこなかっただろう。

 

いま、この本を若い頃に読んでおけばよかったと思う自分は、長い時間をかけてその本に書いてあるようなことを実践してきたからこそ、その本に書いてあることが手に取るようにわかるのであって、昔に読んでも今読んでも結果は同じようになった思う。とても不思議なものを感じさせてくれる本である。いまそんな不思議な体験をしている。