rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

久しぶりに映画を観る


きのうは、バドミントンのラケットとシャトルを買いに
新宿に出かけたが、バドミントン関係のものすら見つ
けることができなかった。どこに行けばいいのだろう。


ふと思いついて、映画を観ることにした。周防正行
監督の「それでもボクはやっていない」という映画だ。
痴漢冤罪の話である。


リアルとリアリティ(真実と真実らしさ)に関する議論は、
プラトンアリストテレスの時代からずっと続けられて
いるものである。プラトンイデアは、真実を追究して
いった結果たどり着いたひとつの解答である。しかし、
現実はイデアだけでは動かない。何かが起きたという
事実ですら、それが真実かどうかはそれを見た人達に
しかわからないことが多い。ひどいときには、真実を
知っていたとしても、その本人だけということもある。
そのわかっている人以外の周囲の人たちは、真実
らしさだけで人や事を判断する。現実社会には、真実
らしさはあっても、真実は存在しないとも言い切ること
ができるかもしれない。


真実らしさAと真実らしさBのどちらが真実らしいかで
ものごとが決められていく。それが本当に真実か
どうかは全く問題ではないことが多い。そうした現実
現代社会だということを認識した上で行動しなけ
ればいけない。


とかく、生きにくい世の中である。


●写真は、東横線自由が丘駅から見た大井町線