rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

「養老孟司の人生論」(PHP文庫)

養老孟司の人生論」(PHP文庫)という本を読んだ。養老さんの本はだいたい読んでいるのだが、読んでいない本である。文庫本が出たので読むことにした。

 

養老さんの人生でなにから影響を受けたかを示し、そこから論を進めていくという本である。戦争と大学紛争から大きく影響を受けてきたというところから文章が始まる。7歳で終戦を迎え、戦時中の世間が大きく変わったことにより、彼の立ち位置が確立されていった。東大紛争時に、学生から大学とは何をするところかと問われ、旧態依然とした大学と大学の「近代化」によって失われたことをずっと考えてこられた。養老さんは、ものごとを即断するタイプではなく長きに渡って、疑問に思うことを考え続けられる。そうした思考が、彼独特な「遅い」思考となり、人々に影響を与える言説を生み出すのだと思う。

 

戦争や大学紛争を通して、変わらないものを求めていく。研究は、社会状況や研究環境が変わると変化していく。また、論理的なものは結果がどのようになっていくか見当がついてしまうので研究者になるのはやめたらしい。死体は、変わらないものとして具体的に目の前にあるので、その死体を扱う解剖学者になることにしたらしい。

 

養老さんのおもしろいところは、プラトンの「イデア」や、フランス現代思想の意味するもの・意味されるものの「意味されるもの」は、「神」であると喝破しているところである。理系の立場から、西洋哲学の本質を的確に暴き出す。この本の中でも、科学はキリスト教原理主義)の解毒剤であるといっている。原理主義は毒をもっている。その解毒剤である科学とキリスト教は対をなしているという話もおもしろい。

 

いわゆる思想は、西欧近代的自我によって成立しており、若い時はこれを信じていたが、大学に務めることにより世間を知り、自己同一性を基盤とする西欧近代自我を疑うようになった。諸行無常である。ゼロから考え直すと原始仏教になったらしい。このあたりは、予定調和を嫌う「これでいいのだ」の赤塚不二夫さんやタモリさんに繋がっているのではないかと思う。