rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

人と人とは分かりえないというのが前提


ふつう、人は少なくとも自分のことだけは
分かっていると思って生活している。もし、
そうでなければ、基本的に社会は成り立た
ない。


しかし、実際はそうでもないことが多いように
思う。自分の例でいうと、学生時代に課題の
設計コンセプトを練っているときに、究極まで
突き詰めていくと、必ず自分ってなあに、どこ
からきたの、といったところまで行き着いて
しまう。そして、自分の中には何もないことに
気付く。もしあるとすれば、意思などの方向性、
人生観などの世界に対する思いだけである。
それらこそが自分を構成しているものだと
気付くのだ。


このように、実は多くの人は自分のことが
分かっていることはかなり少ない。とする
ならば、人のことなど分かりようもないこと
は自明である。


でも、それで諦める必要はない。それぞれ
が意思を持って、余剰の情熱を持って重ね
合わせる思いさえあれば、人は分かり合える
ことができる。


人のことは分かりえないという前提に立って
理解し合える努力をすれば、お互いにとって
いい関係を築くことができる。このことこそ、
よりよい豊かな社会をつくっていくための
個々人の基本的な使命であるともいえる。


●写真は、事務所ポーチのゴーヤ。ようやっと
2階まで到達した。でも、実そのものは細長い
ものしか収穫できない。