rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

バケられるかどうかの境界線


周囲の人を見ていて、ほとんど何もできな
かった人が、外部から見ると突然できる人
にバケることがある。おそらく、その人の
内部では、日々の小さな変化が連続して
起こっていたのだろう。その変化が外から
は見えなかっただけなのだろう。


何かにバケるときには、化学反応が爆発的
にその人内部で起こり、思考のしくみその
ものがこれまでと全く異なるものにドラス
ティックに変化したのだろう。バケるという
ことはそういうことなのだと思う。


しかし、いくら頑張っても努力してもバケられ
ない人もいる。バケられるかバケられないか
の境界線はどこにあるのだろう。


その人が仕事などの対象に対して精神を
フリーにそしてオープンにし、どっぷり浸か
って対象と同化できるかがその境界線の
ような気がする。それらを阻害するのは
ちっぽけなくだらないプライドだったりする。


何ごとにおいても、対峙する対象にどっぷり
浸かれるかどうか、がいい仕事ができるか
どうかの分かれ目になるようだ。