rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ものづくりの原点


いま自分が建築の設計デザインを生業として
いる原点はどこにあったか振り返って見る。


大学3年の設計課題を考えているときであった
ように思う。課題の内容は忘れてしまったが、
その課題に自分が関わり、深く入っていく中
で、デザインしようとしている自分を見失う
ような状態になったことがあった。それまで、
勉強して訓練さえすれば吸収し身につけた
能力によって様々な設計活動が自由に行な
えるようになるだろうと考えていた。ところが、
考えれば考える程に、自分の中には何もない
ことが見えてきてしまった。自分の中からは
何も出てきやしないということに気付いてし
まったのだ。これが自分のものづくりの原点
である。


自分の中になにかあると考えていると、いろ
いろなことがうまくいきデザインがすらすら
出てくるときも、まったく何も思いつかない時
もとにかくいつも息苦しい。自分の存在が
空っぽで、自分がどこから来てなぜここに
いるのかすら分からない存在であることを
受け入れた途端ものすごく楽になった。ただ、
そのことだけを問いながらデザインしていけ
ばいいのだ。自分とはなにか、他人との関わ
りは、社会や国家や世界などとどう付き合え
ばいいかを探求していくことと建築をデザイン
することを接近させ一致させていくことができ
ればなにも息苦しいこともなく、素直に建築に
関わっていけるのである。


その原点から30年近く建築デザイン的には
なにもぶれることなくここまでやってきた。


デザインは自分の内側から出てくるものでは
なく、自分の周りのさまざまな外部からやって
くるものなのである。