rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

神話をこわす知


かなり遅ればせながら、
「知のモラル」小林康夫/船曳建夫<編>東京大学出版を読む。


なかでも、小熊英二さんの「神話をこわす知」は名文だ。


まず、歴史について。
「あたりまえのような話ですが、
それら歴史の本は現代の人間が書いたものだ・・・
史料そのものではなくそれに現代の人間が与えた意味が<歴史>になるのです。・・・
そしてそれは、現代に生きる人間によって書かれ、
現代の必要にしたがって受け入れられていきます。」


小熊さんは、「単一民族神話の起源-<日本人>の自画像の系譜」と
いう本を著述された時の体験を書かれている。
当初は、「単一民族神話は現代日本外国人労働者排斥や在日韓国・
朝鮮人などへの差別にも結びついているから、これから日本が
多民族国家になってゆくためにも、その起源を探るのは意義があるはずだ。」
と考えられていた。

だが調べていくと、戦前のあらゆる民族論をみても、
日本は単一民族国家であるとか、日本民族は古代から純血の民族であるといった
論調はほとんど出てこなかったらしい。
それどころか、その当時植民地政策を展開していたこともあり、
日本は、様々な民族が混じりあった多民族国家であるという論調が
山のように出てきたらしい。


「現代の保守的な政治家や官僚が日本は単一民族国家であると言ったりしているから、
戦前の日本は単一民族神話が支配的だったにちがいない」と小熊さんは考えられていた。
「国境をこえた多民族国家を志向している自分という自画像を安定させるためには、
批判の相手である戦前の日本がその正反対の存在、つまり閉鎖的な単一民族国家を
自称している国でなくてはならなかったのです。」とふりかえる。


つぎに「神話」について。
「それは、現代の自分たちの確信やアイデンティティーを高めるようにつくられた
歴史像であり、世界観だ・・・」と言われる。
そして、小熊さんは「ある神話を解体する過程で、自分の神話に気づ」かれた。


知には、神話をつくる知とこわす知があると言われる。
「ひとつは、人びとに答えと確信を与え、敵を指し示し、特定の方向に導く
神話をつくる知。そしてもうひとつは、問いを発し、立ち止まりながら対話をはかり、
神話をこわす知。」
小熊さんは、後者の神話をこわす知を選ぶと宣言される。


多かれ少なかれ、人間は自己を正当化するために「神話」をつくり、
確信とアイデンティティーを高め精神の安定をはかっている。
しかし「自分が神話を持っていることに自覚的でないと、
神話をこわすと称しながら、自分の神話でほかの神話を攻撃しているだけになる。」


自己の神話に自覚的であり、神話のトートロジーに陥ることなく、
問いを立て他者と対話を交わしながら神話を解体し、
創造的に活動を展開していくことが重要だ。