rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

建築の設計のこと


私は建築を設計するに当たって、
基本設計中はできる限り模型をつくらないようにしている。
20代30代のころは、自分が考えたもののかたちをすぐに見てみたくて
スタディ模型をたくさんつくった。


なぜ最近はそれをやめたか。
模型をつくるということは、平面図を積分して、かたちで表すという
ことだが、一度やってしまうと、そのかたちにとらわれてしまう。
再度微分しなおして平面へそして模型へという繰り返しがフラットに
行えるなら、模型をいくらつくってもいいが、そうはいかない。
かたちのもつ魔力はひとをがんじがらめにしてしまう。
おそらくクライアントの方もそうだろう。
だから今は基本設計時には極力模型をつくらない。
これしかないという確信めいたものが心に立ち現れたときに
はじめて模型をつくる。


建築の設計には、ルーティンに陥ったり、既成概念にとらわれるという
さまざまな罠がいろんなところに潜んでいる。
楽にやろうと考えると、より罠の数は増えてくる。
いくらでも楽に設計できる方法はある。
あえて苦難の道を選ぶのが建築家といわれる人たちの特徴である。


平面の検討という作業もかなり危険で、いわゆる間取りにとらわれはじめると
なかなか抜け出せなくなる。
平面をスケッチしながら同時に立体も考える。
頭の中だけで微分積分を繰り返す。
そしてそこにしかない解答を導き出す。


自由な思考を維持すること、それが今必要なこと。