rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ものごとがあまりに間接的


最近、世の中のしくみが、参加する人々が参加することをリアルに
感じられないように感じられないようにつくられている気がする。


あまりに、ものごとが間接的すぎるのだ。
リアルに感じられないということは、責任をとらなくてもいいと
いうことと同義だ。できるかぎり責任を回避できるようしくみが
つくられてきたのではないか。


じつは、間接的であろうとなかろうと、
積極的にものごとに参加している人々は部分的にせよ責任感を感じ、
リアルな活動をしている。単純に個人の倫理観の問題なのかもしれない。


一見、みんなが責任を取らなくてもいいから、楽だといえるかもしれない。
でも、このことで私腹を肥やしているのはより上位のポジションに
いる人たちだけだ。最後に割を食うのは下にいる人たちである。


結論をいうと、上から下までものごとに関係する人たちが仕事に責任を持ち
リアルを感じられる仕事をすることだ。


そうならないと、今、新聞やテレビのトップをにぎわしているような事件は
永遠になくならない。


自尊心と責任感をもち、リアルであれ。